仮説は「無理」。結果は「2時間で禁断症状、6時間で解放、48時間後は延長を希望」。サハラ砂漠・電波なし生活の実験ノート。
実験の仮説は「無理」だった。砂漠のキャンプに着いて最初にしたことは、圏外なのにスマホを掲げて歩き回ることである。人類の新しい盆踊りだ。2時間後、あきらめてポケットにしまった。ここから、実験は予想外の方向に進む。
手が勝手にポケットに伸びる。存在しない振動を3回感じた(幻振動症候群という名前があるらしい)。焚き火を見ながら、無意識に「焚き火 きれい 撮り方」と検索しようとして、我に返った。重症である。
スマホをテントに置いて散歩に出た頃から、様子が変わった。風の音の解像度が上がった。砂が鳴る音、遠くのラクダの鈴、自分の足音。通知音のために、耳はずっと待機していたらしい。待機が解けると、世界は思ったよりうるさくて、思ったより優しい。
夜、天の川の下で気づいた。悩みごとを思い出そうとしたのに、3つしか出てこない。東京では30個あった気がしていた。残りの27個は、たぶん電波に乗って流れ込んでいた誰かの悩みだ。自分の在庫は、たった3つ。全部、持って帰れるサイズだった。
帰りの空港でWi-Fiに繋がった瞬間、通知が482件。うち、本当に必要だったものは2件だった。この比率を、記者は忘れないことにしている。バッテリーは48時間で16%しか減らなかった。心の消費も、たぶん同じくらいだった。